ストックホルムのデーンさんです。
Joy of Orgasmのクラスがあったんですねぇ…
そこから踏まえてこの内容なんでしょうねぇ…
「もし、もう完璧である必要が無かったとしたら、何が起きるでしょう?」
「もし、もう自分が正しいことを証明する必要がなかったとしたら?
自分が間違っていること、間違いを犯すこと、に心煩わせることなく、もしそうだったとしてもOKだとしたら?
あなたが誰かと接していて、自分が思っていたようにはいかなくて、そのことで気分を害したり、申し訳なく思ったり、そのことにムカついたり…
でも、もしこの世界で言われているような、標準的な完璧さがなかったとしても、自分の世界に秩序をもたらすために秩序立てようとしなくても、でもそうすることで突然に今までになかった可能性への扉が開かれ、またそれはあなたや周りの人達にとって、より「優しい」ものとなるでしょう。
「どれだけの”完璧さのスタンダード”を使い、自分と他人へのジャッジメントを創ることを選んでいますか?」
例えば、あなたが怒らせてしまった人が3人いるとします。
その人に電話なり、メールなりで連絡して、こう伝えます。
「こんなことを言って、こんなことをしてしまってごめんなさい。
完璧でないことがすごくつらい時もあるのを分かって欲しい。
自分の考えが正しいということにしがみついてしまっていてごめんなさい。
でも本当に申し訳なく思っていることを分かって欲しい。
本当にごめんなさい。どうやったら自分がやってしまったことを償える?」
続けて
「あなたのことを想ってると分かってもらうには?」
と言うのは、あなたが怒らせてしまった人、その人達はあなたが彼らを「気にかけていない」と信じ込んでいるからです。
本当に想っている人達を怒らせてしまうことがよくあります。
それは正しくあろう、完璧であろうことに、とても重きをおいているからです。
「どんなでっち上げを使い、自分と他人へのジャッジメントを創っていますか?」
連絡してお詫びをしても、受け入れずに怒りを続行させる人もいるかもしれません。
でも、それでもいいんです。
あなたがその人達に連絡を取りたくないかもしれません。
お詫びをするというあなたの無防備な姿に、彼らは感謝するでしょう。
ただ彼らに連絡することが、あなたの人生をもっと素晴らしいところにする、これは保証します。
「もしあなたが完璧である必要がなかったとしたら、他には何を選択するでしょう?」