日本ではシータヒーラーさんの間でアクセスバーズが広まっていると聞きました。
ちょっと前までシータをやっていたので、シータとアクセスの違いを挙げたいと思います。
シータヒーリングでは「最高最善」という言葉を頻繁に使います。
アクセスコンシャスネスの大前提はジャッジメント(判断・批判)、リミット(制限)を取り除くことです。
このシータの「最高最善」は、リミット(制限)にあたります。
アクセスではリミットを排除するため、moreやbetter、greaterと常に比較級を使います。
リミットのない、無限の可能性を求めているからです。
シータでは「無条件の愛」と言います。
アクセスでは、無条件というと、逆に条件付きのものも生み出してしまうので、ポラリティ(極性)があるものとしてみます。
バーズのテキストにもありますが、「愛」もジャッジメントが伴うものです。
アクセスでは「愛」という言葉を使いません。
代わりにGratitude(感謝)を使います。
Gratitudeにはジャッジメントがないからです。
シータヒーリングはプラクティショナーがクライアントの話を聞き、ヒーリングします。
鎌倉仏教でいう、「他力本願」です。
アクセスコンシャスネスでは「人の愚痴は20秒以上聞くな」と言います。
こちらは「自力本願」です。
他にもいろいろありますが、決してシータヒーリングを批判しているわけではありません。
ヒューマンとヒューマノイドが全く違う性質なのと同じように、
シータヒーリングとアクセスコンシャスネスも全く相容れない、違うものだとまず知っていただきたいのです。
選択するのは個人の自由です。
私はF/L1 のクラス終了後、自分のHPのセッションメニューからシータヒーリングを削除しました。
これが私の選択でした。
Who am I and what grand and glorious adventure am I going to have today?
ちょっと前までシータをやっていたので、シータとアクセスの違いを挙げたいと思います。
シータヒーリングでは「最高最善」という言葉を頻繁に使います。
アクセスコンシャスネスの大前提はジャッジメント(判断・批判)、リミット(制限)を取り除くことです。
このシータの「最高最善」は、リミット(制限)にあたります。
アクセスではリミットを排除するため、moreやbetter、greaterと常に比較級を使います。
リミットのない、無限の可能性を求めているからです。
シータでは「無条件の愛」と言います。
アクセスでは、無条件というと、逆に条件付きのものも生み出してしまうので、ポラリティ(極性)があるものとしてみます。
バーズのテキストにもありますが、「愛」もジャッジメントが伴うものです。
アクセスでは「愛」という言葉を使いません。
代わりにGratitude(感謝)を使います。
Gratitudeにはジャッジメントがないからです。
シータヒーリングはプラクティショナーがクライアントの話を聞き、ヒーリングします。
鎌倉仏教でいう、「他力本願」です。
アクセスコンシャスネスでは「人の愚痴は20秒以上聞くな」と言います。
こちらは「自力本願」です。
他にもいろいろありますが、決してシータヒーリングを批判しているわけではありません。
ヒューマンとヒューマノイドが全く違う性質なのと同じように、
シータヒーリングとアクセスコンシャスネスも全く相容れない、違うものだとまず知っていただきたいのです。
選択するのは個人の自由です。
私はF/L1 のクラス終了後、自分のHPのセッションメニューからシータヒーリングを削除しました。
これが私の選択でした。
Who am I and what grand and glorious adventure am I going to have today?
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